法華経塔由来
当字(とうあざ)に落雷の災害が頻繁に起こり、住民が次第に恐怖を抱くに至った。
時、寛政七年(西暦一七九五年)当字に文吉(ぶんきち)と云う篤信ある者がいた。此の雷神(らいじん)の崇りを消除(しょうじょ)せんことを発願し、時の看住周珍(かんじゅうしゅうちん)和尚に懇請(こんせい)。法華経(ほけきょう)を一石に一字を記して六万九千七百五十四個を法塔の下に埋めて雷神(らいじん)の災禍を封除した。
後文政九年(西暦一八二六年)丙戌 四月初八日 祖幡(そばん)和尚代に再建立。
昭和二十四年(西暦一九四九年)三月、林 留八(とめはち)氏の発願により晃明(こうめい)和尚代再建立され現在に至るまで落雷なしと云われている。